[総選挙/アベノミクス解散]予想通り自民党が圧勝しちゃったことに安堵と不安が一度にやってきた感がありますね。独裁とまでは言わないけど。

安倍自民が圧勝の公算…これってけっこうヤバくない?

自公で衆院3分の2超す 317議席確保

約束の日 安倍晋三試論

僕個人としては、どこの政党の支持者でもない、いわゆる「無党派層」なのですが、今回の選挙の動静は非常に興味深く眺めておりました。まぁ、予想通りでしたね。でも、これはちょっと、さすがにヤバイです。

いやだって、法案を参議院が否決しても、衆議院だけで法案を再可決できちゃうわけですからね?まぁ例えば、悪名高い「児ポ法」とか「自衛隊の海外派遣問題」とか、海外(主に米国)からの要請による法律があるじゃないですか?

麻生政権あたりまでは、なんだかんだいっても、参議院に持っていってまで決めることでもなかろうってことで、意外とうやむやになりやすかったわけですよ。でもこれが衆議院の意見が通ってしまうとなると、「それが決まらないのは自民党がモタモタしているせいだ!」となる。だから、外国や圧力団体(経団連とか)も圧倒的多数党だけ相手にすれば良いとなってしまうので、当然「結果」を求められるようになってしまいます。

「今ならできるだろ?早くやってくれよ。」

というわけですね。これまでは、そこまで急かされることも無かったことも、数の暴力によってできてしまう。これが大変に不味いわけです。安倍さんがどうのではなく、それが「できてしまう」という現状が最もまずいのです。(もちろん、シーソーのように民主党に触れすぎても、それはそれでまずい。要は、バランスが大事です。40〜50議席差ぐらいで競るのが理想でしょうか。)

そして、反対意見を封殺できる政治形態のことを「独裁政治」と言います。党議拘束によって、形式的な議論などとは全く無関係に多数党の意見(しかも、実態はスポンサーの意見)が全て通ってしまうことが独裁でなくて一体何なのでしょうか。

なお、三権分立(行政・立法・司法)の本場である米国には「党議拘束」のようなものはほとんどありません。このあたりも日本がなんちゃって民主主義なんだということがわかります。民主主義じゃなくて党首主義とでも改めるべきなんでしょうね。

例えば、かのプラトンは「国家」の中で、一番醜悪な政治形態が何かを説いた時、迷わず「独裁政治」を挙げ、それは民主制から誕生するのだと断言しました。なぜなら、独裁制は人民を堕落させる(=自ら物事を考えることを放棄させてしまう)からです。独裁というと、しばしば「ナチス・ドイツ」の例が出ますが、あれは民主主義から出たということを忘れてはいけません。もちろん安倍さんや自民党がナチスのようだとか、そういう話では全くありませんが、一党に権力が集中して良いことは何もないです。

国家〈上〉 (岩波文庫)
もっとも、プラトンとしては哲人による政治形態(=哲人政治)が最も良いということを説きたかっただけかも知れませんが、やはり民主制は欠陥だらけの政治形態であることは間違い無いのです。でも、だからこそ、僕らは正しく民主的な政治が行われているかを監視しなくてはいけない。だっていうのに、今回の投票率は53パーセント以下らしい。さぁ、いよいよ考えることを放棄してますよね?

…いやぁ、実際これだけ人民が主権を果たす気がないのなら、お金のかかる民主制なんてやめて、立憲君主制にでも戻したほうが良いんじゃないでしょうかね?

それだけ、現在の日本の政治は取り返しのつかないレベルまで落ちていると言って良いでしょう。誰も政治になんて期待してはいないのです。ではこれからの日本の政治はどうすれば国民の信頼を取り戻せるのでしょうか。以下で、僕なりに答えを探っていきたいと思います。

僕なりの意見〜小さな政府を目指すべき〜

まずもって、人は借金をする人間を信頼なんてしません。

まして、国家の収支の半分以上が借金だなんて、そんな政治を誰が信頼するのでしょうか。

例えるなら、中小企業の社長さんが頑張って借金をして、僕たちになけなしの給金を払い続けるようなものです。「これだけしか出せないけど、借金して何とか捻り出したよ!これからも安心して仕事頑張ってね!」と、ぽんぽんと肩を叩かれるようなものです。

果たして、経営が火の車で、自転車操業の会社で働いている社員は安心して経済活動に打ち込めるでしょうか?そうではないはずです。むしろ、自分の身の振り方を考えて仕事に集中できなくなるでしょう。子供だっておちおち作れません。

ですからまず最初にすべきことは「赤字から黒字に転換させる」ことです。

けれども、それは現在の統治システムのままでは本当に難しい。
日本はあまりに金持ちになりすぎたのです。
そしてそれに対応した仕組みや福祉という種を蒔きました。
その結果として超少子高齢化&超高齢化といった実を刈り取ることになりました。

これは、「良かれと思って政治がやったこと」のツケではないでしょうか。

僕は大学時代、19世紀前後の近代経済史が専門のひとつだったのですが、
数ある「政治経済」に関する古典の中でも「見えざる手」というのを特に信奉しています。

中学の教科書に載っているレベルの古典中の古典ですが、アダム・スミスの「国富論」というやつです。いわゆる、「(政治が経済に対して)極力何もしないのが一番良い。」という考え方ですね。
国富論 1 (岩波文庫 白105-1)
そしてもう一つ、ホップスの「リヴァイアサン」という古典も愛読しています。いわゆる「社会契約説」というやつです。人は国家と「自分を養ってくれる代わりに納税などの義務を履行するといった」契約をしている、というやつですね。つまり、「自分の利益のために仕方なく国民になってやっている」という考え方です。
リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

どちらも、基本的な中身はシンプルなのですが、近代民主主義が成立した際の礎のひとつとなった著書だと言われています。僕はこれらの本を愛読し、歴史を学ぶに、人が何かをしようとして実際に良くなったことって実は殆どないんだなぁって考えるようになりました。

かの賢王ソロモンは

「人間が人間を支配して苦しみをもたらす時がある」

と書きました。

要は、意外とシンプルに、「あれやってくれ、これやってくれ」と言うよりも、いっそ「何もしないでくれ!」という勇気が大切なのかも知れません。そうすると、一時的な苦しみはあるかも知れませんが、長い目で見れば、良い方に好転するかもしれません。

だから結局、小泉政権の時のような、いわゆる「ねじれ国会」が、つまり「決められない政治」が一番良かったのではないかと思います。実際、池上彰さんが某著書の小噺で「小泉さんが何もしなかったおかげで経済が良くなった」と書いていましたね。要は、そういうことなんじゃないかなと思います。

「小さな政府」が結局一番良いっていうことでしょうか。

民間に任せる。

政治は殆ど何もしない。

必要最低限のことだけやれば良い。

これらのことを貫けば、当然、借金は減りますよね?
政治家も公務員もあんまりいらないし、福祉予算も削減される。

何より一番重要なこととしては、自分たちで何とかするしかないって状況になれば、嫌でも必死になるんじゃないでしょうか?戦後に急速に発展したってのは、現状、公共投資をしても一向に経済が良くなる気配がないことを鑑みるに、結局、制度云々というよりかは、生きるのに必死だったからだと考えるの自然でしょう。単純に伸びしろがあったということもあるでしょうけどね。でも、人間が一度上げた生活の質を上げることは本当に難しいものです。芸能人やスポーツ選手が落ちぶれた際に、自殺してみたり、薬物にハマってしまうのもわかる気もします。

でもまぁ、例えば、老後のことを考えてみましょう。

年金制度や介護制度があるから、子供に頼らなくても良くなった。

つまり、子供を作らなくても何とかなる世の中になってしまった。

毎日だって病院に通院できるようになってしまった。

お金がなくても長生きできるようになってしまった。

…全て、良いことです。
良いことですが、でも莫大なお金が(政府に)かかりますよね?
最終的に負担することになるのは、僕ら若人です。

であれば、結局、年金制度や介護制度っていう「福祉」が僕たちを苦しめているということにはならないでしょうか。北欧のスウェーデンは、これを税金をメチャクチャ高くすることで解決し、ドイツなどもこれに習い借金を減らしました。

では、僕たちは?と考えると、8パーセント、10パーセントで騒いでいる現状を考えるに、耐えられそうにありませんね。であれば、「負担」を増やさない代わりに、「福祉」を減らすしかないんじゃないでしょうか。

どっちも増やすなんていうことができないなんてのは、解りきっているわけですからね。


PAGE TOP